NHK広島は原爆のなかいかに死んだか - 読書メモ

お久しぶりです。あるいは、初めましてでしょうか。今回から、別のサイトでも掲載しているので。

今回は、読んだ本についてなど語っていきます。ネタバレありなので注意です。

幻の声 - 白井久夫

『幻の声 NHK 広島 8 月 6 日』

  • 出版日付: 1992 年 07 月 20 日
  • 著者: 白井久夫
  • 出版社: 岩波書店
  • ISBN: 9784004302360

概要

「幻の声」は、NHK 広島に届いた一通の手紙から始まるドキュメンタリーです。1945 年 8 月 6 日、広島に原爆が投下されたその日、ラジオから女性の交信を求める声が聞こえたというのです。著者の白井久夫はこの声を「まぼろしの声」と名付け、取材を通してその声の主を探していきます。 丹念な調査の結果、放送局の記録や生存者の証言から、原爆投下時の混乱の中で、何らかの声が放送されていた可能性が浮かび上がります。しかし、特定には至らず、「まぼろしの声」は、原爆の悲劇、戦争の真実、そして情報と記憶の曖昧さを象徴するものとして読者の胸に刻まれます。白井は、声を探求する過程を通して、広島で起きたことの重さと、戦争の記憶を風化させないことの重要性を改めて問いかけています。

第一印象

まず驚くのは、NHK の、自らの構成員に対する無関心さです。筆者はまず組織が残した資料を参照しますが、これらは基本的に何の役にも立ちませんでした。広島中央放送局庶務部の藤原浩圓さんが個人で聞き込みをして作成した『被爆在籍者名簿』がほぼ唯一の手がかりだったのです。

内容に関する詳しい感想は、各所に以下のように書き込みました。また、今回はエスペラントでも感想を作成しました。

あったこと

淡々とあったことを見てみましょう。センセーショナルに悲劇的物語を描き出すのではなく。

1945 年

  • 5 月 21 日 : 「官公署の時間」中央官庁より地方官公署あての指示通牒の番組が新設。
  • 6 月 28 日 : 「如何なる事態に於ても放送を絶対に停止せしめざること」 逓信院総裁 塩原時三郎達 協会報号外
  • 8 月 2 日 : 中国新聞に「警報情報放送に女子放送員起用」の記事掲載。
  • 8 月 5 日
    • 中国新聞に「闘う防空情報陣」の記事掲載。
    • 21 時 7 分 : 空襲警報発令。古田アナウンサー、倉田ディレクター、寺川技術員が放送にあたる。
  • 8 月 6 日
    • 0 時 25 分 : 空襲警報発令。
    • 1 時 45 分 : エノラ・ゲイと随伴機 2 機、硫黄島で待機する予備爆撃機が飛び立つ。
    • 2 時 10 分 : 空襲警報解除。
    • 2 時 15 分 : 警戒警報解除。
    • 5 時 : NHK 広島放送局、放送開始。
    • 5 時 24 分 : 日の出。
    • 5 時から 7 時 : 古田、倉田、寺川が帰局。
    • 7 時 : 井沢アナウンサー、放送を担当。7 時台の警報発令・解除も読む。
    • 8 時 15 分過ぎ : 広島に原爆投下。
    • 呉鎮守府からの連絡を受け、放送局が放送の体制に入った瞬間に爆発。
    • 中部軍管区司令部からの警報発令は間に合わず。
    • 寺川技術員、各局との連絡を試みるも失敗。
    • 倉田ディレクター、森川、安田ら、職員の救出にあたる。
    • 古田アナウンサー、局舎からの脱出を図る。
    • 井沢アナウンサー、2 階のスタジオ前の廊下に倒れているところを救出されるも、再び意識を失う。
    • 中国軍管区司令部参謀長・松村少将、放送局に現れ「電波は出ているか」と問う。
    • 古田と松村は司令部の放送室を目指し、放送局玄関前を離れた。
    • 局員、集合場所の原放送所を目指す。最後に局舎を出たのは寺川技術員。
    • 井沢、炎上する局舎から 1 ブロック隣で意識を取り戻すも、動けず。
    • 間島、上柳町の地裁官舎付近の庭に取り残される。のち死去。
    • 昼過ぎ : 避難の第一陣が放送所に到着。
    • 放送所にたどり着いたのは、放送 4 人(倉田、尾崎、森川、安田)、技術 4 人(田中、寺川、矢野、森川)、庶務 1 人(向井)、加入 1 人(宮廻)、出張者 1 人(鳥取局竹内)の 11 人。それに出勤途中で被爆、局経由でついた 4 人、(局長、庶務課長、技術課長、吉村放送部員)、直接、放送所にきた 3 人(放送部長、放送部藻塩、武田)あわせて 18 名。
    • 検死調書で確認された者は、No.3081(山田)、3362(望月)、3426(宍戸)、3749(梶山)、4023(頼)、4325(住田)、4366(若林)、4564(山本)、6062(大倉)、6627(徳永)、6628(小津)、それに放送部間島、放送所築島、あわせて 13 名。
    • 16 時ごろ : 森川技術員、岡山放送局と連絡を取り、惨状を伝える。大阪からの放送送出と救援を依頼。以後の警報放送は、中国軍管区司令部 → 広島中央放送局が駄目になったので、中部軍管区司令部 → 大阪中央放送局で中国地方をカバーする警報を出してもらうよう依頼した。
    • 夕方 : 井沢、防火用水に入っていた山崎正敏に救出される。
    • 18 時 : ラジオ地方局、若干の損害を報じた。
  • 8 月 7 日 : 放送再開。
  • 8 月 10 日 : 田中課長、死去。その後 1 か月間、局員の死者が相次ぐ。
  • 8 月末 : 青木参謀、死去。
  • 秋 : 井沢、NHK 広島放送局を退職。

その後

  • 1951 年 : サンフランシスコ講和会議。この後から原爆に関する出版が現れ始める。放送はさらに遅れる。
  • 1965 年 : 田辺澄子の父・別所隆、平和公園原爆慰霊記念碑に合祀される。
  • 1966 年 : NHK 原爆之碑完成。36 人の職員が合祀される。このとき、『NHK 原爆之碑完成記念 原爆被災誌』により、はじめてすべての殉職者が明らかになる(既出の『日本放送協会報』には 13 名の殉職者が載っていたが、日本放送協会の職階制により、殉職として扱われていない人が、事務員、技術員など 23 名いた)。
  • 1975 年 5 月 : NHK スタッフの筆者、田辺澄子からの「8 月 6 日、壊滅した広島で交信を求める女性の悲しげな声が聞こえた。あの人はどうしたのか」という問い合わせに触発され、番組企画のため「幻の声」の調査開始。
  • 1989 年 6 月 : 番組「闇に沈む声」制作中、田辺澄子から筆者に、娘の学校に提出した原爆に関する童話 2 篇が送られてくる。
  • 1992 年 7 月 20 日 : 本書『幻の声』出版。

感想 Recenzo

幻の声 NHK 広島 8 月 6 日 - 白井久夫 岩波書店

"Fantoma voĉo, NHK Hiroŝimo 6-a de Aŭgusto" ŜIRAI Hisao, Iŭanami ŝoten eldonejo

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8 月 6 日は、世界で初めて原子爆弾が実践使用された日です。

La 6-a de aŭgusto estis la unua praktika uzo de atombombo.

日本の公共放送「NHK」に、一通の問い合わせが来ました。

Estis ricevita unu enketo al Japana publika sendostacio NHK.

「8 月 6 日、壊滅した広島で、ラジオから交信を求める女性の悲しげな声が聞こえた。あの人はどうしたのか」

"La 6-a de aŭgusto, Mi aŭdis malĝojan inan voĉon peti kontakto per radiofonio, en la detruis Hiroŝimo. Ĉu ŝi estas en ordo?"

この問い合わせを受け、NHK 職員である著者は生き残った人々に取材を始めます。

La aŭtoro, dungito de NHK, kiu ricevis ĝin, komencas intervjuon al postvivantoj.

目次を読んだ段階では「放送を停止せしめざること」に格好良さを感じたけれど、それがお上からの言葉であることに気づき腹が立ってきた。

Mi sentis bonfido al "Kion ne ĉesi elsendi" en dum mi legis la enhavtabelo, sed mi ekmalamis ĝin post legi la enhavo, ĉar ĝi estas frazo de registo.

NHK は、軍の親密な協力者であり、宣伝機関でした。

NHK estis intima asociito de armeo, kaj reklama agentejo.

文中では「時代からの要請であった」と書いているけれど、実際には軍部からの要請なわけで、独裁者とその協力者たちによる悲劇だった。

La aŭtoro diras "ĝi estis peto de la tempoj", sed fakte ĝi estas peto de armeo, ĝi estas tragedio kaŭzita de la diktatoro kaj asociitoj.

報道・出版のあまりにも無力なさまと、そのなかであがき挫折した者、いちどは口を閉ざすものちに語り始める者、もう語ることができない者たち。

Gazetaroj kaj eldonejoj estis tre senfortaj. Tiuj kiuj rezistis kaj malsukcesis. Tiuj kiuj ekparolas poste. Tiuj kiuj ne plu povas paroli.

死んだときはともかく、生き残ったとき、私はあがき伝える方になれるだろうか。

Kiam mi mortos, ĉiuokaze. Kiam mi postvivos, ĉu mi povos esti homo, kiu povas paroli?