責任は脳と脳の間にある - 読書メモ

こんにちは。今回は脳科学のお話です。ネタバレありなので注意してください。

“わたし”はどこにあるのか - マイケル・S. ガザニガ

『“わたし”はどこにあるのか ガザニガ脳科学講義』

  • 出版日付: 2014 年 09 月 09 日
  • 著者: マイケル・S.ガザニガ
  • 出版社: 紀伊国屋書店
  • ISBN: 9784314011211

概要

この本『“わたし”はどこにあるのか』は、認知神経科学者のマイケル・S・ガザニガによる、意識、自由意志、責任という複雑な問題を探求する講義録です。脳は中央集権的な統一体ではなく、それぞれ専門化した無数のモジュールが分散処理を行う複雑系であるという視点から、ガザニガは分離脳患者の研究や、進化心理学、社会神経科学の知見を総合しながら、「私」という感覚を生み出す脳内メカニズムを解き明かしていきます。

特に重要な役割を担うのが、左脳にある「インタープリター・モジュール」です。これは、様々なモジュールから断片的に上がってきた情報を統合し、一貫性のある「語り(ナラティブ)」を作り出すことで、私たちに統一された自己意識を与えているとされます。

本書は、自由意志は幻想に過ぎないのか、責任を脳の機能に還元することは可能なのか、道徳的な行動の基盤は何かといった深遠なテーマについて考察し、現代社会における司法制度や倫理観のあり方にも鋭く問いかけます。そして最終的に、脳科学の進歩が人間観の刷新へと繋がる可能性を示唆し、読者に深い思索を促します。

第一印象

分厚い本ですが、語り掛けるような文体で非常に読みやすいです。しかし、ところどころ論文や発言の引用などがあって、そこだけは理解するのに大変苦労します。今回はネタバレありなので結論から言ってしまいましょう。自由意志は幻想ではないし、責任を脳の機能に還元することもできません。責任は社会的相互作用から生まれる、したがって責任の有無を脳機能から語ることはできないと著者は言っています。

「マクノートン・ルール(1843 年に起きた、イギリス首相ロバート・ピールの暗殺未遂事件で生まれた、精神異常抗弁に関する判例)」以後の世界に生きている私たちにとっては、いささかハードな世界観に思えるのではないでしょうか。著者はその嫌悪感がなぜ生まれるのかについても述べていて、ではどうすれば解消できるのかという新たな提案もしています。

この講義はそもそも何?

この本は、エディンバラ大学で 2 週間にわたって行われたギフォード講義に基づいています。

ギフォード講義について説明が必要ですね。これは、19 世紀スコットランド判事、アダム・ギフォードの遺志を継いで、エディンバラ大学、グラスゴー大学、セント・アンドリューズ大学、アバディーン大学の四校が共同開催している自然神学の連続講座です。事前に申し込みさえすれば、誰でも無料で聴講可能です。

著者が講義をしたときは、著者の妻や子供たち、娘婿、姉まで講義を聞きたいと言い出して、宿を借りてまで講義を受けたそうですよ。

脳と意識についてのネタバレ FAQ

私たちの脳は、他の動物と比べて何が違うのですか?

ヒトの脳は、他の霊長類と比べて、単純にサイズが大きいだけではありません。ニューロンの接続パターン、種類、そして特に前頭葉におけるニューロンの分枝構造が大きく異なり、これが高度な認知機能を可能にしています。例えば、ヒトの大脳皮質はチンパンジーの 2.75 倍の大きさですが、ニューロンの数は 1.25 倍に留まります。これは、細胞体間の距離が広がり、神経繊維網が大きくなっていることを意味します。この構造により、脳はより複雑で効率的な情報処理を行うことが可能になっています。

また、ヒトの脳には「フォン・エコノモ・ニューロン(VEN)」と呼ばれる特殊なニューロンが存在します。これは大型類人猿、ゾウ、一部のクジラ、イルカなど、社会性の高い動物だけが持つニューロンで、高度な社会性や意思決定に関与していると考えられています。

さらに、脳梁の構造や機能も大きく異なり、左右半球の機能分化がより顕著になっています。

意識とは何ですか? また、どのように生まれますか?

意識は、脳のさまざまな部位で並列処理された情報が相互作用することで生まれます。脳にはそれぞれ専門的な機能を持つモジュールが無数に存在し、それぞれ独立して活動しています。

これらのモジュールから出力された情報が「インタープリター・モジュール」に集められ、過去の経験や知識に基づいて解釈され、統一感のある「語り(ナラティブ)」が構築されます。これが私たちが意識体験として感じるものです。

インタープリター・モジュールとは何ですか?

インタープリター・モジュールとは、左脳に存在すると考えられている、脳の各モジュールから出力された情報を統合し、説明を与える機能のことです。

インタープリター・モジュールは、視覚、聴覚、記憶など、さまざまなモジュールからの情報を統合し、過去の経験や知識に基づいて解釈することで、私たちに統一感のある意識体験を作り出します。

自由意志は存在するのでしょうか?

神経科学的な知見に基づくと、私たちの行動は、意識に上る前にすでに脳内で方向づけされている可能性が高いです。

例えば、指を動かそうと意識するよりも前に、脳はすでに指を動かすための準備を始めています。これは、私たちの行動が意識的な決定よりも先に、無意識の脳活動によって方向づけされていることを示唆しています。

しかし、だからといって、私たちの行動が決定論的だとは言えません。現代の物理学では、複雑系・カオス理論・不確定性原理などにより、決定論は否定されています。ある状態がある状態を 100% 引き起こすとは言えないのです。

そして、私たちには社会的な文脈において、選択の自由があります。私たちは、社会的な相互作用を通じて、自分の行動を抑制したり、変更したりすることができます。

人間は生まれつき道徳的なのでしょうか?

私たちは、生まれつき備わっている道徳的な基盤と、社会的な学習によって形成される道徳観の両方を持ち合わせています。

乳幼児の頃から、他人を助ける、不公平に憤るなど、道徳的な行動が見られます。これは、人間が生まれながらにして、共感、公正さ、互恵性といった道徳的な感覚を持っていることを示唆しています。

一方で、道徳の具体的な内容は文化や社会によって大きく異なります。これは、道徳が社会的な学習によっても形成されることを示しています。

人間は 5 つの普遍的な道徳モジュールを持っていると考えられます。

  • 他者を傷つけず、困っていれば助けの手を差し伸べる。
  • 公正、正義、他者を平等に扱う。
  • 伝統や正当な権威者を敬う。
  • 所属集団、家族、国に忠誠を示す。
  • 清潔を尊び、汚染と肉欲を遠ざける。

道徳体系が異なるのは、それぞれのモジュールへの重みづけが異なるためだと考えられます。

なぜ道徳的に進化したのですか?

進化論的には、協力、共感、公正さなどの道徳的な行動は、集団の生存と繁殖の成功に貢献するため、自然淘汰によって選択されてきたと考えられています。

人間は、公正さや互恵性などの道徳的な直感を持ち合わせて生まれてきます。これらの直感は、社会的な行動を導き、社会規範や法律の構築に影響を与えます。そして、これらの社会構造は、フィードバックループを通じて、世代を超えて受け継がれ、さらに発達した道徳的行動を選択するように作用します。言い換えれば、人間は社会を形作り、社会もまた人間を形作るのです。

この共進化のプロセスは、社会的な学習が、ボールドウィン効果によって説明できます。これは、学習された行動が遺伝的進化に影響を与える可能性があるという理論です。例えば、協力的な行動を促進する社会構造は、協力的な行動を司る遺伝子の選択を促進する可能性があります。

また、社会的学習が、ニッチ構築(人間が環境を積極的に変更すること)と遺伝的同化(環境に有利な形質が遺伝的に固定されること)を通じて、ボールドウィン効果が促進されると考えられます。

共進化とは、人間の道徳性と社会が互いに影響を与え合い、長い時間をかけて発展してきたプロセスであり、その結果、複雑で協力的な人間社会が形成されたと考えられます。

社会は、私たちの脳にどのような影響を与えるのでしょうか?

人間は社会的な動物であり、他者との相互作用を通じて、脳は大きな影響を受けています。

例えば、ミラーニューロンと呼ばれる神経細胞は、他者の行動を観察するときや、自分自身が同じ行動をとるときに活動します。これは、他者の行動を理解し、共感する能力の基盤になっていると考えられています。

また、社会的な学習を通じて、私たちは道徳観、価値観、文化などを身につけていきます。社会的な環境は、脳の発達や機能に大きな影響を与えているのです。

脳科学は、司法制度にどのように活用できるのでしょうか? また、どのような問題点があるのでしょうか?

脳科学は、犯罪者の再犯の可能性の予測などに活用できる可能性があります。しかし、脳科学の知見を司法制度に適用することには、倫理的な問題や、科学的な限界があります。

例えば、脳画像診断によって、ある犯罪に関連する脳の部位の活動が確認できたとしても、それが本当にその犯罪の原因であると断定することはできません。脳画像診断は統計的プロセスを経ており、個人に当てはめるには精度が不足しているためです。しかし、実際の裁判で責任能力の有無を論じるために使用されている現実があります。

脳科学の知見は、あくまでも補助的な情報として、慎重に扱う必要があります。

今後の神経科学に期待されることは?

人間の意識、行動、そして責任という複雑な問題を理解するためには、脳、精神、社会という異なるレベルの相互作用を考慮することが不可欠です。

脳は単なる物質的な器官ではなく、精神状態を生み出す動的なシステムであり、同時に精神状態は脳の活動に影響を与え、それを形作っていくという相互依存の関係にあります。この相互作用は、階層的な構造として理解することができます。個々のニューロンの活動というミクロレベルから、神経回路、脳領域、そして意識というマクロレベルに至るまで、それぞれのレベルは、その下位のレベルの要素の複雑な相互作用によって成り立っています。

この階層的な相互作用を適切に表現する言葉を見つけることは容易ではありません。従来の還元主義的なアプローチでは、上位レベルの現象を下位レベルの要素に分解することで理解しようとしますが、創発という概念は、全体は部分の総和以上のものであることを示唆しています。

「階層式の相互作用に適切な表現を見つける」ことこそ、今世紀の科学の課題だとマイケル・S.ガザニガは述べています。

感想 Recenzo

責任や自由が何か(何に対する責任/自由なのか?)脳科学から捉え直していて、とても楽しかった。

Ĉi tiu libro estas tre interesa, ĉar ĝi reekzamenante kion libervolon kaj respondeco (libereco / respondeco de kio?) per cerboscienco.

道徳などの判断がどうやって生まれるか知ることができて、それに自信を持てるようになった。

Mi eksciis kiel moralaj juĝoj aperas per cerboscienca vidpunkto.

この本は道徳に自信が持てない人におすすめかもしれない。

Ĝi eble rekomendi por angoraj homoj pri homa moralo.

ただ、「直感的な道徳」だけではいけないことも理解できた。今の司法では、「直感的な道徳」が支配的であることも。

Sed, mi eksciis ankaŭ ”intuicia moralo” sole estas malbone. ankaŭ ĝi dominas en nuna justico.

むすびに

非常に重たい二冊の本を読みました。特にガザニガ脳科学講義は大変で、読むのに二カ月かかりました。たいへん。

一トンの塩を舐める、と言った人がいるようですね。本を読むのは塩を舐めるようなものだと。大きなかたまりを少しづつ削りながらなんとか読み終えることができました。

学術書やドキュメンタリーは省略するところがわからないくて大変なので、今後はもっとゆるい本を読んでいきたいです。もっと簡単な読書メモをつけてね。